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由緒

主祭神

  • 大山積神「オホ(オ)ヤマヅミノカミ」
  • 髙龗神「タカオカミノカミ」
  • 鳴雷神「ナルイカヅチノカミ」




神格・神徳

オオヤマヅミノカミ神は山の神で、コノハサクヤヒメ神の父でありクシナダヒメの祖父でもあって、皇統と出雲系と、いずれにとっても外威 にあたる高貴の大神。古代、中世は、、水軍の守護神。タカオカミノ神は、竜神界の最高位。ナルイカヅチノ神は、モヒ(イ) トリ(水取)・モンド(主水)の守護神、現在は、河野地区の氏子・崇敬者や河野家にゆかりある人々に格別の御加護あり。

高縄神社

・文献上の高縄神
「・・・備中ノ沖ニシテ飢渇ノ難ニ逢ヒタル 節、千尋ノ底ヨリ感得シタル清水ハ、汝知ラズヤ、本是高縄山十六天童(当初彼山二十六人ノ天童来遊シ玉フ。即三島明神ノ十六王子、 今新宮ト称ス是也)鎮座ノ砌、下ヨリ流出スル水ナルコトヲ。・・・」ー『豫章記』ーより


「昭和天皇貞観五年九月ー(中略)ー○廿五日甲寅。授ー(中略)ー伊豫國正六位上高縄神従五位下。」ー『日本三代寛録』ーより


社伝意訳
当神社、現在地への鎮座は保廷2年(西紀1136年)のことである。河野親清公が、氏神たる三島宮(大山衹神社)の神々 を近くで拝するために奉斎した。以来17代にわたり、河野家から神領神田等の寄進、安堵がなされ、本社三島宮に模して壮大な結構を いとなみ河野三島宮あるいは河野新宮等々と尊称され、神職・供僧・衛侍など多数を擁して四時の祭祀怠りなく繁栄したが、河野家断絶 に伴い衰退し、慶長5年(西紀1600年)9月20日の夜、関ヶ原の合戦に呼応した騒乱に巻き込まれて社殿・宝物・文書等すべて焼失した。

近世・近代・現代
松山藩による崇敬庇護のもとに復興。現在の建物は、拝殿が文化3年(西紀1806年)本殿が文化9年 (西紀1812年)に造営された。明治3年、社名を高縄神社と復古改称し、同4年郷社に列格し同28年、県社に昇格、社家は幕末から明治にかけて 4軒存在したが大正・昭和にかけて2軒減少、現在に至る。戦後は社格制度の廃止にともない神社本庁が包括する宗教法人として護持されている。